(公財)箕面市国際交流協会MAFGA

2021.08.01

春の多文化ボランティアセミナーを開催しました(2日目)

(めろんNo.166掲載)

 協会には、在住外国人の人権保障、多文化共生社会の実現、市民参加による地域づくりというミッションがある。現在は、それを達成するべく多言語による生活相談や居場所づくり、日本語教室、comm cafe やボランティアグループの運営とそこでの交流に向けて外国人市民が活躍できるようサポートし、多様性が息づく地域づくりに努めている。市民との協働を広く求めるためのセミナーが、5月15日、29日の両日にオンラインで開かれた。

2日目 『そもそも「ハーフ」って呼び方ってどうなの? ~多文化共生とレイシズムを考える~』
5月29日開催 講師:ケイン樹里安さん

 社会学者のケイン樹里安さんは、大阪市立大学都市文化研究センター研究員、WEB メディア HAFU TALK 共同代表として活躍している。セミナーが始まってすぐに、「ハーフ」と聞いて誰の顔を浮かべるか、と尋ねられた。テレビで観るタレントやスポーツ選手。その中で支配的なのは「白人」とのハーフで、ハーフ顔になりたいと思う人には、鼻プチ(穴に入れて高く見せる装具)・カラーコンタクトで白人に近づきたいという願望が目立つ。白人身体性はメディアで支配的な美の基準なのだ。

 「ハーフ」とは厄介な言葉で、「半分」「ネガティヴさ」と切り離せない。長く日本社会で流通してきたが、差別的だということで「ダブル」「ミックス」という言葉が使われはじめている。当事者でも、人によって「自分はハーフでええねん」とか「複数のルーツがあるからミックスがしっくりくる」とか、捉え方は様々である。ケインさんは、アメリカ出身の父親に「ミックス」は「ピュア」の反対語としてナチの思想を彷彿させる、と言われたことがあるらしい。ここで大事なのは、第三者が他者をカテゴリー化する「名指し」ではなく、当事者自身がカテゴリー化する「名乗り」であり、それらは別の行為である。他者にラベルを貼り、線を引くことは暴力になる。ベターなやり方は、名指す前に「待つ」ことだ。筆者も「ハーフ」という言葉を使ってきたが、その「可傷性」に無自覚だった。相対する時にくれぐれも萎縮せずに、「待つ」術を養いたいと思った。

 交差性(インターセクショナリティー)の問題も取り上げられた。身体形質、出生地、生育地、言語、国籍、ジェンダー、セクシュアリティ、宗教、階層などの諸要素が交差することで独特な抑圧的状況がもたらされる概念で、例えば一口に「ハーフ」の問題経験といっても同じものはない。非白人との「ダブル」「ミックス」である人々もいるし、環境の違いもあるから、苦しさは個別のものなのだ。ぜひ、ネットの HAFU TALK で当事者の話にもあたって欲しい。子ども時代から大人になっても周りから攻撃を受け続け、瑞々しくあるべき魂が時に萎れゆく苦しさにふれることができるだろう。

 両セミナーを通じて、社会的マイノリティの人も堂々と思いを口にでき、ルーツに関わらず互いの自己決定権を尊重し、傾聴し合うことで真のコミュニケーションが可能なのだと認識を新たにさせられた。(山下)

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